2014年5月16日金曜日

小野田さんを追悼す: 没2014年1月16日

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●戦後、はじめて撮影された小野田寛郎少尉の写真


大日本帝国陸軍 小野田寛郎少尉 命令下達 Ver 2

公開日: 2014/02/06
 小野田さんのご冥福をお祈りいたします。
 同名のコンテンツがありますがまだ始めた頃の­もので、雑な内容でしたのでちょっと作成しなおしてみました。小野田寛郎の終わらない­戦いhttp://p.tl/uOoP小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年(大正11年)3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。 階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。
 大東亜戦争終結から 29年目にしてフィリピンルバング島から帰還を果たす。



Wikipediaより
小野田 寛郎(おのだ ひろお、大正11年(1922年)3月19日 - 平成26年(2014年)1月16日)は、日本の陸軍軍人、実業家。最終階級は予備陸軍少尉。旧制海南中学校・久留米第一陸軍予備士官学校・陸軍中野学校二俣分校卒。
情報将校として大東亜戦争に従軍し遊撃戦(ゲリラ戦)を展開、戦争終結から29年目にしてフィリピン・ルバング島から帰還を果たす。


「生き抜く」最後の日本兵・小野田寛郎

公開日: 2013/06/26

 小野田さんが今年はじめになくなった。
 これはその追悼の一ページである。

 それぞれの時代にヒーローがいる。
 私には二人いる。
 一人は6メートル弱の小舟で太平洋を横断した堀江謙一さん。
 もう一人はこの小野田寛郎少尉。

 太平洋というのは内燃機関を積んだ鋼鉄艦でしか行けないものだと思っていただけに、堀江謙一さん(その頃は「堀江謙一青年」と記述されていた)の事件はとんでもなく興奮させられたものだ。
 『太平洋ってエンジンもない数メートルのヨットで横断できるものなの?』
であった。
 世界のヨット史はこの壮挙から幕を開けたといっていい。
 私は高校生であった。

 そして小野田寛郎少尉。
 なにしろ29年間も任務を全うするなど考えられもしなかったことであった。
 これには涙が止まらなかった。


 
 
 
 



【そこそこ、ほどほど】

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